人間をミンチにするか否か、それが問題だ。 【キャットフード 感想】
あらゔぁんです。「3月のライオンカフェ」に行ってみたいなぁと思ってみたり。
関東に行く用事が今のところ見当たらないので、まだ当分お預けですね…。
今日は昨日読んだこの本についての感想です。なかなか奇天烈めいたミステリとなっております。
あらすじ
極上のキャットフードを作って一儲け。化けネコのプルートが考案したキャットフードとは、人肉ミンチだった。プルートの策略によってコテージ(に見せかけられた人間カンヅメ工場)に連れられた4人の若者。が、その中には人間に化けた黒ネコのウィリーが混じっていた。さて、化けネコ同士の殺人はご法度です。前代未聞のネコミステリ!
ネコvsネコの騙し合い!
この作品は悲しいかな、ネコが人間をミンチにするか否か、その行く末を見守るミステリなのです。
プルートらはいわば「人間をミンチにしたい」化けネコ。あの手この手で人間をミンチにしようと画策します。
そんな彼女らの前に、偶然にもカンヅメ工場へと招待されてしまった化けネコのウィリーが現れます。彼は「人間をミンチにしたくない」化けネコとして、なんとか人間を工場から逃がそうとします。
このネコvsネコの人間を巻き込んだ諍いに、2つのルールが加わることで、この舞台は一挙にミステリへと大変身を遂げるのです。
化けネコは化けネコを殺傷できない。
4人のうち化けネコのウィリーは誰だかわからない。
このアクセントによって、プルートらはウィリーを除いた3人「だけ」をミンチにしなければならず。
しかもそのためにはまずウィリーを特定しなければならないという手順を踏まなくてはならなくなったのです。
いやほんと、現代ミステリってアイデアひとつで色んなことができるんだな、と思いながら読んでましたね。
ウィリーをさがせ!
ところで読者には、ウィリーが誰に化けているかはすでに明かされています。
ここで必然的に読者の注目は「ウィリーが誰か?」ではなく「どうやってウィリーを判別するか?」になるわけですが、この展開が飽きさせない。
『キャットフード』での化けネコは身体全てを人間に化かすことも、身体の一部を何らかの形に化かすこともできるスグレモノだそうで。
ウィリーは脱出の手段として手先だけをモーターボートのキーに化かそうとしたり、プルートたちも家具やら何やらに化けてウィリーがボロを出さないかと窺ったり、とても通常のミステリでは味わうことのできないような展開を垣間見ることができます。
そして終いには、「人間」の探偵が「人間をミンチにする」ネコ側に加勢するなど、もうやりたい放題。人肉ミンチだぞ。お前本当に探偵か、って。
"ナメ"ちゃいけない。
この『キャットフード』、やっぱりというか何というか、かなりポップでサイコなミステリとして名が挙がっているようですが、十分にそのポップサイコ感は味わうことになりました。
しかし、それでも最後はビシッと一つ締めてしまうのが憎めないところ。正直最後は
「うわ、こんなのにやられた!」
とかなり(本当に)失礼な感想で本を閉じるハメになりました。
ミステリを普段から嗜む人ほど、読んでほしいなと思う異色ミステリでした。ぼくもミステリフリークの友人に早速読ませてみようと思います。
灰色は白色になれるか【その白さえ嘘だとしても 感想】
こんにちはあらゔぁんです。
今日は河野裕さんが描く『階段島』シリーズ2作目『その白さえ嘘だとしても』を紹介します。
河野裕さんといえば、最近デビュー作の『サクラダリセット』が実写映画化/アニメ化すると聞きました。
ぼくはサクラダからのファンだったのですが、サクラダは1巻発売がもう7年前と、正直アニメなどのメディアミックスは期待していませんでした! 『階段島』シリーズがフィーチャーされることでこうした嬉しいこともあるんだなぁと思っています。
そんな感謝も込めて。『サクラダ』シリーズについてもまた紹介することができればと思っています。
一応ネタバレは避けつつのつもり。
あらすじ
クリスマスを目前に控えた階段島を事件が襲う。インターネット通販が使えない―。物資を外部に依存する島のライフラインは、ある日突然、遮断された。犯人とされるハッカーを追う真辺由宇。後輩女子のためにヴァイオリンの弦を探す佐々岡。島の七不思議に巻き込まれる水谷。そしてイヴ、各々の物語が交差するとき、七草は階段島最大の謎と対峙する。心を穿つ青春ミステリ、第2弾。
みんな探し物ばかりしている。
島内唯一の物資輸入手段であるインターネット通販が止まってしまった!この事件を皮切りに、みんながみんな探し物をすることに。真辺は通販を遮断したとされるハッカーを、佐々岡はヴァイオリンの弦を、水谷は真辺のプレゼントを、それぞれイブまでに見つけ出そうと奔走することになります。
彼らの探し物は群像劇調で描かれ、目まぐるしく視点が変わっていきますが、やがて読者にはその背後に蠢いている謎「クリスマスの七不思議」が提示されます。
クリスマスの七不思議とは何なのか。通販遮断の犯人は。そして階段島の「魔女」とは--。
イブに向かって大小さまざまな謎が動き、明かされる展開がとても好みでした。そしてその中で、群像劇だからこそ描かれる各人の苦悩も。
誰だって憧れる。
前作が「七草から見た真辺由宇」に視点を合わせていると言うならば、今作は「島民から見た真辺由宇」にフォーカスしていると言えます。この2つの「真辺由宇」像には大きな隔たりがあるということを、改めて気づかされたような気がします。
七草は真辺のことをよく知っている上で、彼女の揺るぎない正義性というものを高く評価しています。七草の理解があって初めて、彼女の純白さというのは良いものとしても描かれることが許されます。
しかし一方で彼女の正義性は、見る人からすれば毒にもなり得ます。ヒーローに憧れる男子の前で、彼女は完璧にヒーローを演じきってしまう。優等生を演じようとする女子の前で、彼女は自分の思いを率直に述べてしまう。
生まれながらにして本当に混じり気がない純白な真辺と、白をどこまで塗り足していっても結局は灰色な彼彼女。
まっすぐで歪んでいたとしても、灰色の彼らには純白な真辺が痛烈に眩しく感じるのです。
灰色は白色になれるか。
もし自分の近くに真辺由宇がいたら。物語の中で優等生に成りきれなかった女の子が感じたように、ぼくも恐らく嫉妬することでしょう(笑)
でもそれは、自分も同じようにヒーローや優等生といった白さについて考えたことがあるからこそ、真辺の持つ純白さを否が応にも理解してしまうからだと思います。
けれども「自分は真辺のようにはなれない」と認めてしまったら、本当にそれで終わりなのか。白さを保とうとすることもできず、灰色に濁っていくしかできないのか。
今作ではここに一つの帰着点を設けて、物語を締めていますが、本当に『その白さえ嘘だとしても』なんです。変わること自体は叶ってもいい。白くありたいと思うことは認められてもいい。
何かが欠落した人たちが集う階段島だから、とても見栄えのするテーマだなと思いました。